ひと言集

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平成20年4月24日

4月のことば

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「長く生きてよかった」
 
 高齢者とのお付き合いの場面で、「長く生き過ぎた」というお年寄りの声を耳にすることは度々あります。

 衰えた身体機能、意欲の低下、介護を受けないと生きていけない自分、世話になるばかりで、迷惑をかけている。何の役にも立たない自分を情けなく思う。家族や周囲の人は忙しく働いている。

 現在のように虚弱になる前は、家族や親しい人との交流もあったでしょう。何よりも自分の意思で、社会との交流をもつことが出来ていました。

 施設に入所している高齢者の場合、面会に来てくれた家族が帰ると、「置いて行かれた」という気持ちになることもあるでしょう。こうした日々が続いた時に、淋しさや悲しみが増し、「長く生き過ぎた」と思うのでしょう。

 Kさん(87歳、女性)は、認知症で在宅介護が限界になって、2年前に入居されました。同じ言葉の繰り返し、目覚めている間中、落ち着きがなく自室とデイルームを行き来していました。激しい焦燥感と、繰り返される断片的な言葉から、認知症もあるが、うつ傾向を感じました。
 
 治療と、スタッフの根気強い対応で、激しかった焦燥感も少しずつ改善傾向にあります。

 久しぶりにKさんを訪問すると、「懐かしいわね、懐かしいわね」と感激しました。その時の私は、白のブラウスの上に、若草色のカーディガンの前ボタンをはずして着ていました。「ボタンは全部しておかないと駄目よ」と、Kさんが、私のカーディガンのボタンを上から下に、最後までかけて、「これでいいのよ」と言いました。お礼を言うと、「私ね、長く生き過ぎたわ」とポツリともらしました。

 Kさんは、若い頃ご主人と共に仕事をし、家事、子育てと家族の中心となって、活き活きと生活をしてきた方です。高齢になって、ご主人と死別、仕事、子育てもなくなり、健康も失いました。

 こうした状況は、誰にでも起こることですし、介護を必要とする施設で暮す高齢者の多くに、共通なことだと思います。
 
 個々の高齢者が、「長生きしてよかった」と思えるためにはどうしたらよいのか、日々考えます。

 当然なことですが、何処の介護施設でも、幾つもの病気を抱えている高齢者は、手厚いケアが必要です。また、比較的軽い方でも、常に安全に暮らせるように見守りが必要な人ばかりです。

 施設では、高齢者が安心し、「人生いろいろなことがあったけれど、長生きしてよかった」と思っていただけるような、ケアを計画し、努力・実行していますが、限られたスタッフで、基本的な欲求を満たすための支援で、精一杯なのが現状です。

 1日に1つか2つ、小さなことでもよい。その方にとって、或いはグループで、楽しかった、嬉しかったという感情を共有できたらよいと思います。そしてそれが継続されることによって、「長く生きてよかった」と思えることの1つにつながれば嬉しいと思っています。