ひと言集

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平成23年4月18日

東日本大震災のお見舞

 3月11日に発生した大地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに被災された地域の皆さま、そのご家族の方々に心よりお見舞申し上げます。

4月のことば

「手当」

 友人を訪ねたとときのことである。「あなた肘が痛いの?」と声をかけると「何故わかるの」という返事が戻ってきた。人は体の一部に痛みや不快感があるときに手を当てたりさすったりする。

 親は赤子の泣き声や体の動きで何を欲求しているか判断し「手当」をしてきた。成長しても赤い顔をしていると「熱があるのかしら」と子の額に手を当ててみる。子が転んで泣くと「痛いの痛いの飛んで行け」と打ったところに手を当てる。誰もが親や兄姉、親しい人から「手当」を受けてきた。そしてわが子や身近な子どもたちに同じことをしてきた経験を持っている。

 医療機器の開発により「手当」よりもむしろ機器によるデータで判断する時代になってきている。あるナースの話である。家族が肺疾患で入院治療を受けていた時「息苦しい」と担当のナースに訴えたところ、酸素濃度計を持ってきて測定し「正常範囲ですから大丈夫ですよ」と立ち去った。その時「これは看護ではない。看護は何処へ行ってしまったのだろうと悲しくなった」と話した。

 正確なデータの出る医療機器の使用は素晴らしいと思うが、機器には患者の感情は伝わらない。その感情を補っていくのが看護の仕事だと私は思う。

 患者の表情を見ながら訴えを聞き、そっと脈拍を測定し、呼吸を観察する。その中からデータでは計り知れない感情を知ることができる。そしてその人に合った心身のケアにつなげていくことが大切である。

「手当」は「手」と判断力があれば誰でも日常的に簡単にできる行為である。

 今回の大地震、津波、原発の問題と稀にみる大惨事で被災した方々には、多くの「手当」が行われたと思う。「手当」は身体面だけでなく「被災者の心」にも必要である。その喪失体験に時間をかけて寄り添うことが、被災された方々の心の「手当」になると思う。