ひと言集

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平成24年8月21日

8月のことば

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「心遣い」

 88歳のAさん、認知症はないが足が弱っていて立居振舞に時間がかかる。歩行器で移動しているが、夜間トイレで排泄のあとナースコールを押し、手すりにつかまって立ち上がったときに下着とパジャマを上げてもらっていた。「皆さん良くしてくれますが、若干おかしな人がいるのよ。パジャマを上げたと思った途端消えちゃうのよ、おかしいでしょう」と声掛けをしてくれなかったことに不満をもらした。「夜寝ているときに回ってくるでしょう。掛物が落ちかかっていても直してくれないのよ」など毎回気づいたことを話してくれた。

 Aさんはいつも周囲の人に細やかな心遣いをして生きてきたのだろう。高齢になってケアを受ける立場になったとき自分が気遣ってきたような気遣いを求めるのはごく自然なことだし、そこに個別ケアがあると思う。どれほど忙しくともベッドに横になるのを見届けて「おやすみなさい」と笑顔で挨拶をしたいものである。

 90歳のBさんは以前からうつ傾向があり、人付き合いを好まず自室で過ごすことが多かった。最近96歳の夫に先立たれ、その上相次いで弟も亡くなったこともあり、食欲が落ちて体重がかなり低下した。食事の時に歩行器で食堂に出てくるが、粥を少量食べるとすぐに自室に戻り臥床していることが多くなった。また、スタッフの少ない朝晩に集中してナースコールを押し身体の不調を訴えることが続いていた。不調を訴える度に病院で検査を受けたが異常はないと言われている。

 訪問すると目を丸くして「よく来てくれたね」と手を差し出した。Bさんの手を両手で包み挨拶をした。30分ほど話した時「お昼だから食堂に行く」と言いベッドから起き上がった。食堂で一緒に食事をした。こちらが食べ終わるまで待っていてくれた。

 Bさんをお部屋に送り、「トイレは?」と声をかけると、無言で頭を左右に振りベッドに横になった。「次回来たときにも必ずお寄りいたしますね。ご無理をしないようにしてくださいね」と手を握り挨拶をした。Bさんはかすかに頷いた。ドアを開けて廊下に出た時もう一度Bさんを見て挨拶をした。「気を付けてね」Bさんの消え入りそうな声が聞こえた。

 長生きすることは時には残酷だと思った。身近な人に次々と先立たれ心身とも弱って寝たきりに近い日々を過ごす。テレビも新聞も見ない。スタッフ以外に尋ねる人もないBさんである。ナースコールを押すのは「寂しい、誰かそばにいてよ」という切なる願いだろうか。現在は週1回担当者が訪問して衣類の整理をBさんと相談しながら行っているというが、週にもう1回20分位時間を作ってBさんの傍らに寄り添ってBさんの話を聞くことをスタッフに勧めると「傍にいても話をしないのよ」という。

 ずいぶん昔のことだが「手ぶらの看護」という題で本を書いたのを思いだした。何らかの処置や検温、環境の整理などのために患者さんを訪問することはたやすいが、何の用事もないのに訪問することは難しい。手ぶらで訪問しお話を伺うことの大切さを書いたものである。「手ぶらの看護」に必要なのは、あたたかく優しい心遣いである。

 病院や高齢者施設で働く看護・介護スタッフは少ない人員に加えて仕事量が多くいつも時間に追われている。一方看護や介護が必要な高齢者は、言葉も行動もゆっくりである。さらに発語が明確でない人、難聴の人など様々である。

 当然両者の間にズレが生じる。短期入院の場合は面会に来た家族が埋め合わせしていることがあるが、施設では入居期間も長く家族の都合もあり、心身の観察、ケア、生活面の支援、記録とすべてがスタッフの肩にかかっている。限られた勤務時間内で仕事を終わらせるのは難しい。

 そうした中でスタッフは個別ケアに力を注ぎ、ケアの質を落とさないように常に努力をしているが、さらに全スタッフが一人ひとりの高齢者に優しい心遣いができることを望みたい。