今月のひと言

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平成29年8月7日

8月のことば

2017年8月の画像

「自覚がない」

 「婆どけ!」蒸し暑い昼下がり、駅構内の人通りはまばらだった。耳慣れない激しいその言葉にハッとして周囲を見渡した。誰もいなかった。私に向けて吐き出した言葉だったことにやっと気づいた。

 その日は右目の検査で眼科を訪れた帰りだった。検査のため散瞳した右目はボーッとしていたので、駅構内の左壁に添って注意深く歩いていた。ピンクのパンツに赤いブラウスを着た40歳位の女性が正面から歩いて来た。その方は当然こちらが右に避けてくれると思っていたのに、壁から離れようとしないこちらに腹を立てたのだと思った。それにしても自分が「婆」だという自覚がないのに驚いた。

 日常生活の中で自分が高齢だと感じるのは、乗り物に乗って席を譲られた時くらいだ。孫たちには名前で呼んでもらっているので、息子まで名前で呼ぶようになった。

 職場や趣味活動、ボランティアの場では姓を呼ばれている。職場といえば、月1度訪問している認知症治療病棟に入院している方々の中には、私の名前を憶えている方が数人いて、こちらの姿を目にすると傍に伺うまで大きな声で名前を呼び続ける。名前を憶えてない方は「先生」と呼ぶ。先生とは重宝な呼び方だと思う。入院している多くの方は、医師、看護師、ケアワーカーすべての人を「先生」と呼んでいる。名前が覚えられない、何をする人かもはっきりわからないためだと思う。少数の人は女性スタッフに対して「お姉さん」と呼んでいる。私のことは「おかあさん」と呼びかける方もいる。「おかあさん」という呼び方も重宝だと思った。お姉さんほど若くない女性にぴったりだと思う。「隣のおかあさん」「友達のおかあさん」などなど、誰でも日常よく使う言葉だ。

 タクシーを待っていた時、幼い姉弟を連れた若い母親と会話をしていたら、3才位の坊やが「おばあちゃん」とこちらに声をかけた。母親は驚いて「おばあちゃんではありませんよ」と息子を制した。その様子を見ていた5歳位のお嬢さんが「お姉さまよ」と言った。「おばあちゃんでいいのよ」と。丁度タクシーが来たので「バイバイ」と笑顔で別れを告げた。

 こどもは正直だ。どこから見ても「おばあちゃん」だ。「ばばあ」も「おばあちゃん」も同意語に違いない。驚くのはこちらに年齢と外見に対する自覚がないからだと思った。